2006年02月 07日
東京電機大学に関する再考察
僕が卒業した大学は東京電機大学と言う大学です。工学部情報通信工学科卒業。以前のエントリーで書いたのですが、つい最近まで、『くだらない大学だった』と本気で考えていました。まわりの学生を見ていて、理系の割りに技術職に対するこだわりが希薄と感じていて。ものづくりに対する姿勢がない、と感じていました。加えて、大学の教授陣の一部は東大を定年された後の天下り。入った研究室の教授はこの大学での研究や学生の質の悪さにヤサグレモード。Windows NT でネットワーク組んで喜んでいるだけの研究室なんて、日本全国探しても、私の所属した研究室だけだったでしょう。で、その使用感を文章にして、雑誌社に売りつけるだけ。こんなの研究じゃありません。
信じられないかもしれませんが、普通の大学生と違い、僕は大学時代、それはそれは勉強しました。プログラマと言う仕事に憧れていましたから。凄く執着していました。当時、先進的な言語で、大学の誰も教えられなかった C++ 言語も独習。電磁気学とか代数学とか本当に必要なのかどうかわからない学問も積極的に勉強しました。証拠に教科9割の成績は『A』でしたから。だからこそ、裏切られたような思いだったのでしょう。
写真は、去年の夏あたりに、嫁と出かけた東京電機大学千葉ニュータウン中央校舎。本学は神田にありますが大学1年次は、千葉のド田舎にあります。で、僕は神奈川県は相模原市から1都2県またいで、約3時間通学していたわけでw いや、それはともかく、嫁と千葉ニュータウン中央校舎へ遊びに行ったんですよ。いろいろと新しい建物が増えていましたが、大学の校舎とか、ほとんど、そのまんまで。僕が入学した当初、まだ新しく校舎が建って間もなかったのです。歩いて見学するうちに、当時の自分の気持ちが蘇ると同時に、その気持ちに対する客観的な自分も現れました。
そう、その時、僕は、この大学の意図と言うものが見えてきたのです。東京電機大学の教育方針は、1年次に実験基礎によるレポートの書き方と言った基礎的な事項を学ばせると同時に、自由課題にも集中させ『ものづくり』の面白さを体験させるカリキュラムになっていたのです。もともと、プログラマに憧れていた自分は狂喜してこの自由なプログラミングに励んでいました。学校まで3時間もかかるのに、夜20時近くまで大学にいて、家に帰って23時。で、次の朝6時30分には家を出る。そんなのへっちゃらなぐらい、それはそれはプログラミングしてました。プログラマの卵としての自分が楽しくて仕方がなかった。
今にして思えば、大学のカリキュラム通りだったんです。そして、その後の専門性―――実際には結構地味で厳しい研究の世界―――に繋がっていく。それでも、ものづくりの本質が分かっていれば、どれだけ厳しくても面白さが感じられる。そういうカリキュラムだったんです。その意味で、東京電機大学のスタイルは、僕向きだったと、今にして思うのです。ただ、その後大学3年間の出会いがあまり上手くなかったのは、不運でもあったように思う一方で、僕自身の行動にもなんか問題あったんだろうな。今の今まで、大学の所為にしてきていたところもあったし、結構、うちの大学生って自分の大学にネガティブな人が多いんですが、大学を卒業して10年、今にして思う。僕はメーカーでエンジニアとして、プログラマとして、または、リーダーとして、楽しく仕事ができるだけの素養の多くをかの大学で学んだと。そんな風に思います。
嫁と訪れた11年ぶりの大学。社会人11年目にして、わだかまりの一部、何かが晴れてきたように思う瞬間でした。
2004年10月 02日
旅行記: 島根県 - 須我神社(玉造温泉)
須佐之男命(スサノオノミコト)ゆかりの神社である、須佐神社は割りと有名なのですが、須我神社と言う神社はご存知でしょうか?出雲は玉造温泉から車で30分、八雲山中腹にある須我神社、須佐之男命と稲田姫(イナダヒメ)が新居を構えたと言う由来のある神社なのです。
須佐之男命はここに来てすがすがしい気持ちになったと言うのが須我神社名前の由来なのだとか。他にも日本和歌発祥の地、縁結び発祥の地であるとも言われているそうです。詳しくはこちらのサイトを参照くださいませ。
さて、首尾よくヤマタノオロチを退治したスサノオは約束通りイナダヒメを娶ることになるが、その新居を出雲の国に求め須賀の小川をのぼりこの地に来た時「ここにきてすがすがしい心になった」と云い、宮を造る。この宮、須賀の宮が完成したとき、雲が立ちのぼるのを見て歌ったとされるのがあの有名な「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」の歌謡とされ、出雲の建国を高らかに宣言する。
須我神社からさらに八雲山を上ること10分ほど。須我神社奥宮へ向かう道---ほとんど山道---を登って行く。
道の随所に和歌が彫られた大きめの石があります。後に彫られたものなのか、嘗てよりあったものなのかはよく分かりませんでした。
須我神社奥宮に着くとそこには夫婦岩と言われる巨大な石が3つ。地元の人曰く、なぜか夫婦なのに3つあるんだそうです。不思議不思議。
あまり知られていない須我神社ですが、とても神々しい空間でした。神在月の名の通り、出雲は神様の地なのですね。
2004年09月 28日
旅行記: 島根県 - 出雲大社
折角の飛び石連休を敢えて避けてw 9/27(月) と 9/28(火) に休みを入れると言う意表をつくフレックスの入れ方で島根県は出雲へ行ってまいりました。出雲大社、玉造温泉(須我神社)、松江と移動したのですが、2回に分けて旅行記を書いてみます。
9/26(日) 朝の飛行機で出雲空港入り。早いものでたかが1時間ちょっとで到着。
出雲と言えば出雲大社。今回の旅行は『出雲大社に行こう!』と言う趣旨でした。
一般に縁結びの神で知られる出雲大社は『古事記』『日本書紀』で現れるような神話の中心的な存在です。それを象徴するような逸話が出雲大社のサイトには書いてあります。
陰暦の十月のことを神無月といいます。これは全国の神々が出雲の国に集まられ、神々が留守になられるからです。反対に出雲では、神々がお集まりになられるので「神在月(または神有月)」といいます。平成16年は11月12日が陰暦の10月1日に相当しますので、出雲大社では、11月21日(陰暦10月10日)に神迎祭をお仕えし、翌日より7日間、神在祭をお仕えします。
なんと、神無月には世間の神様はみんな出雲にあつまると言うわけです。で、出雲だけはその期間を『神在月』(かみありづき)と呼ぶ。面白いものですね。
出雲大社で有名なのが拝殿にある、大きなしめなわです。
このしめなわの下から小銭を投げて、(突き刺さって)落ちてこないと願いが叶うのだとか。結構、がんばると刺さるものです。僕もツレも10数回のチャレンジで突き刺さりました。
さて、出雲大社には実は『裏技』があります。通常、御本殿の中には(お正月の一時期以外)入れないそうなのですが、『おにわふみ』と言う形で中へ入ることが出来るのです!
この『おにわふみ』、御本殿反対側の受付けからお願いすることが出来ますが、なんと正装でなければ入れません。男性はネクタイ着用のこと。予めツレがその情報を Get していたため、僕らも御本殿の中へ入り御本殿の中にある格式と歴史ある各建造物の由緒を伺うことができました。あまり大きく宣伝されていないのは、内容がとても厳かに行われるべきものだからなのでしょう。ですが、出雲の世界を深めるために、ぜひ経験したい内容でしたヨ。
ホテルへ帰って、食事へ行こう、とフロントに近くでおいしいおすし屋聞いてみる。すると、フロントの方2人が総出であれこれ考えてくれてw いやぁ。出雲市は観光客をとても大切にしてくれるのです。と、言うのも、どうやら食事できるところの多くは日曜日お休みらしく。親身になって紹介してくれたのが、寿司処いわなり(出雲市0853-22-0993)。
ここ、目から鱗が落ちるほどおいしい!!2人前を お刺身、握り、焼き物、お酒2本、ビール大瓶1本で \12,000-。結構、安い!メニューのないお寿司屋さん(いわゆる時価)でのお任せはちょっと調子に乗りすぎたか、と思ってびくびくしていたので、びっくり。一番のお勧めは写真撮るの忘れちゃったのだけど、『ノドグロ』と言う焼き物(煮付け)は最高でした。曰く、『2度来てもまた頼む味』とのこと。油がのっていて、棟梁言う通り、本当、肝まで食べてもおいしかった!
次回は、玉造温泉(須我神社)からでーす。
2004年09月 18日
品川区中延に『ねぶた祭り』?
ねぶた祭りと言えば青森県ですが、まさか地元、東京は品川区中延で見ようとは!!今日は中延商店街主催の(縮小版)ねぶた祭りだったようです。
なかのぶスキップロードの奥から何やら…
写真で見て分かるほど、商店街の道ギリギリで中延をかの『ねぶた』が練り歩いてきます。
いやはや、本当に驚きました。中延にこして3年目ですが、こんなイベントを見ることになるとは。なかなかやるもんだ → 中延商店街
2004年07月 25日
旅行記: フランス - パリ
前回のエントリーから続きです。出張後半はフランスは花の都、パリへ。
1日目は会議の後、会社の人とセーヌ川を川くだり。川から見るパリ。なかなかオツなものです。
夜はシャンゼリゼ通り外れで食事。エッフェル塔が遠くでキラキラとライトアップ。
2日目は自由行動でした。帰りの飛行機は20時発。その日まるまる観光できたのですが、僕はすっかり疲れてしまっていて。ホテルのあるモンパルナス界隈で過ごす事に。ホテルから程近い1970年に建設され当時は世界有数だったと言うモンパルナスタワーに行ってみる。
モンパルナスタワーほど近くにある青空市の通りに向かう。
青空市、土日は若手芸術家がその作品を売りに出していると言う。青空市通りを抜けて、モンパルナス墓地へ。ここからは写真なしw だってなんか写ったらこまるじゃんかw ここにはサルトルを初めとする著名人の墓地があるらしかったのだが、特に観光客向けにガイドがあるわけでなく。誰が誰の墓地だかわからなかった(フランス語だし)。
墓地を抜けて、カタコンブと言う地下道へ入る。ガイドを付けると20ユーロだかなのだが、どうせフランス語分からないのでガイドなしの5ユーロで入る。ここ、知っている人は知っているのだけど、その昔何百万人と言う骸骨がそのまま積まれた地下道なのです!なんでもその昔、パリは一般庶民の埋葬がいい加減だったらしく。そのまま地下に積んでいたら地下室に死体が雪崩れ込むと言う事件までおきたそうで。そんな時代に誰だか偉い人が一気に死体(骸骨)を整理した、と言うのがカタコンブなのだそうです。ちなみに僕の3年ほど前の元彼女はこれを見て『黒魔術なのよ』と言ってました。まさかこんな後見ることになるとは思わなかったのですが、ああ、これか、と。しかし、どこのガイドに黒魔術なんていう歴史が書いてあるんだろ。などと言う感想を残しつつw いや、結構一人でこの地下道を行くのはかなり怖いです。わざわざ人の間隔をおいて中に入れてくれるため、すげー孤独で、早足に前の人に追いつこうとばかりしている僕でした。
カタコンブを抜けてちょっと遠出。世界初の天文台、パリ天文台を眺めてからリュクサンブール宮殿へ。行き際にオブセルヴァトワールの泉と言われる噴水と銅像があるのですが、現在工事中。残念。
リュクサンブール宮殿のある、リュクサンブール公園には暖かい日和の所為もあってか、平日だと言うのに人がいっぱいいました。意外なことにパリでは白人よりむしろ有色人種の方が外を歩いているような気がします。パリで過激な保守党が台頭するのはそんな経緯もあるのでしょう。パリは今や国際都市なのでしょうか。…が、公園はずれでやっていた学生による合唱コンクール、いるのは白人ばかりです。なんとなく、パリの裏側を見たような気がしたものです。
とは言え、絵的には『パリらしい』『絵に出てきそうな』風景でした。
最後に、芸術家が愛したと言うカフェをパチリと撮ってパリを後にしました。
2004年07月 22日
旅行記: ドイツ - シュトゥットガルト
先日のエントリー通り、出張でドイツはシュトゥットガルトへ行って来ました。実はその後に行ったフランスは花の都パリより好きな雰囲気だったりして。出張に行った人ほとんどがパリがよろしかった模様ですけどね~。建物たちがまさにメルヘンの世界です。
兎に角日が暮れるのが遅い!22時を越えるまでぜんぜん暗くなりません。これじゃあ会社終わってからも遊びますわな。お蔭様で連日寝不足w
フランクフルト言うぐらいでソーセージ料理がとてもおいしい。量も多いのですが全部食えてしまった。…ちなみに写真撮り忘れた(げ)。ビールも上手い。ドイツと言えばピルスナーが有名ですが、アルトビアと言われるちょっと赤みがかったビールが最高でした。すごい長いグラスで運ばれてきたのですが、3杯も呑んでしまった。そりゃ現地でエントリーできないわけですわなw
街中は23時すぎても人通りが絶えません。治安は結構良いんだろうな。ちなみに、男も女も結構体格良い人が多い感じがする。背も高いし。ドイツと言えばネオ・ナチズムなんていう物騒な言葉の出る昨今ですが、ドイツの片田舎にはそんな雰囲気もほとんど感じません。ストイックでゆっくりした時間を感じる、そんな街、シュトゥットガルトでした。
次回はフランス - パリ編でーす。














