2005年11月 15日
本質
モノゴトの本質を見失ったらイカンな、と。
いやね。例えば、10人中8人ぐらいまでが賛成だったとするじゃないですか。でも、8人全員が自分の意思として賛成しているかどうかって怪しいな、と。…たぶん、8人中、3~4人くらいは寄らば大樹の影的で、本質なんて見ていないか、そもそも理解はしていない人なんだろうなぁ、と。
だんだんね。エンジニアみたいな商売も、歳おうごとに、本当に分かっているのか、分かっている風に立ち振る舞っているだけなのか、怪しい人たちばかりになっていくように思えてね。そのあたりの価値観が今とっても僕の中で葛藤があり。そういう人たちとは話さなくて済むと思うから、設計に没頭できたのだけど、出来たものベースでさえ、政治に組み込もうとする輩が多くて嫌気がさすわけなのね。
「そんなの聞いてない」いや、聞いている聞いてない、じゃなくって、その内容があっているか間違っているかでショ。
「それは政治的にやらないと云々」分かった分かった、任せるから(君の実績にして良いから)勝手にやってくれ。でも地球は周っているぜ。
しかし、まぁ、それはそんなものなのかも知れない。どんな提案をしてもね。基本的に反対する人って出てくるもんなんだよね。本質から検討しているわけではなく、「とりあえず反対」って人がね。それはそれで必要なんだろう。が、僕の価値観には真っ向対峙する考え方。これを開き直れるかどうか、なんだけどさ。
だからこそ、モノゴトの本質を見失ったらイカンな、と。守るべき本質があるならば、政治家にだってなってやろうじゃないか、と。
禁煙とは
禁煙とは、喫煙を「必要ないもの」だと「自分自身が」認めることだと見つけたり。
…前回のエントリーで書いた通り、禁煙セラピーと言う本によって、理解したことです。
既に二コレットもやめて1ヶ月が経ちますが、実は未だに吸いたくなってしまい、FRISK で誤魔化す日々。でも、意外と FRISK で収まるんですよ。なんか、煙草に似た充足感を得られるみたいで。たぶん、僕だけだろうけどw おそらく、それ以上に、『煙草は自分の生活にとって、まったくいらないものだ』と、かの本のアドバイスが効いていて、今のところ自分を落ち着かせられています。
なぜいらないのでしょう?禁煙セラピーでは、煙草を吸うことによって気分が高揚するように感じるのは、同じ煙草によって気分が落ち込んでしまう状態をまたゼロの状態まで高揚させることが可能だからだ、と説きます。うん、これは実体験として、納得が出来る説明です。つまり、気分が落ち込むのも煙草のせいでなのに、ゼロに戻すために、わざわざ煙草をまた吸ってしまうのだ、と。しかも、絶対ゼロ以上にはならないのだ、と。
僕の場合、要はこの高揚感さえ他のもので代用できれば良かったみたいで、チェーンのように FRISK を食っていますw 一日なんと3箱。でも、煙草がどうしても欲しい、と願わなくはなりました。煙草が欲しい、よりは「高揚感が欲しい」。
煙草の健康に対する害について切々と語る本は非常に多いのですが、実際、それで止められるならみんな楽に禁煙できるんだよね。そうではないアプローチで、煙草を吸う人の立場に立って、論理的に不必要さを解説しようとしているところが大変良い本でした。
いや、でも、まだ僕は煙草を『本当にいらないもの』とは納得しきれていないんだけどねw 方向としては見えてきたかな、と。











