2004年09月 19日
『愛国心について』と言うエントリーについて、僕の思うこと
超有名サイト、絵文禄ことのはにて公開された『愛国心について』と言うエントリーについて。一時期、blogger 達の間で議論が繰り広げられていたわけですが、落ち着いてきたみたいなので、僕も一言書き残しておこうかな、と。ずるいかな、こういうやり方。俺、議論が去った後にちょろっと意見するのが好きなんだよね。以下の文章は、ぜひリンク先の『愛国心について』を読んだ上で続きを参照頂ければ。
僕も正直、このエントリーは気に入らなかったんです。僕も個人的なことを言えば、相手の言っていることの妥当性は極端に問わない人で、どちらかと言うと「ああ、そういう考え方もあるのだな」と思う人なのだけど、今回は違った。話は単純で、第一に内容よりもこの文章の構成そのものが気に入らない。要は、『僕はこれこれこういう経緯の人間だから』『こういう結論になる』と言う文章の運び方が気に入らなかったんです。
だって、それじゃあ議論にならんのですよ。議論の軸足を『僕個人が思う』に置いてしまったら『ああそうですよね。あなたのことですもの、あなたが一番知っている』と言わざるえないと思うんです。愛国心なんていう、僕のような不学な者でさえ、歴史の深い影響範囲の広い問題、と思わざる得ないようなキーワードを持ってきて、ご自身の感性主導で導入する論文はずるいんじゃないかと。愛国心を語るのは、女子十二楽坊の好き嫌いを論ずるのとはワケが違います。
愛国心と言うキーワードは人によって感ずるところが様々なんだと思います。だから、難しい。多分、オリンピックの日本代表選手を応援する・応援しないなんて言う庶民的なレベルの問題じゃ語れない人は語れないわけです。だから、立場を明確にするべきなんでしょう。文章読んでもらうと分かるんですが、実は流石に立場は明確ではあります。『個人的な見解』。日本人として何か言っているわけでも、世界人として何か言っているわけでも、まして、地球人として、宇宙人として、どれでもありません。ただ、松永さんが思っているだけ。だから、この文章の価値は『ああ、こういう感覚の人もいるんだな』と言う価値に過ぎない。そういう程度の文章なんです。内容は。そう分かれば頭にも来ないんですけどね。
文章の持つ影響力 --- 今回は『愛国心』と言うキーワードの持つ影響力 --- を配慮しない文章は、他人の気分を害してしまう恐れがあります。まして本まで書いている筆者のサイトです。そんな軽々しく物申して良いとは思えません。僕が気に入らないのは、そういう配慮なくノウノウと『個人的な見解を述べただけだ』と言う筆者の態度です。そういう態度が公共の場で罷り通る(まかりとおる)んなら、『差別』なんて言う言葉は世の中から消えるんですよ。誰かの言った言葉が、誰かの心を傷つける、そんなことが起きる事を配慮できないほど、無知では無い筈です。
勿論、『愛国心』について何か言っちゃイケナイなんて言ってません。ただ、最低でも『日本人として』ぐらいの立場でモノ言って欲しかったですね。ああ、帰属は文章が否定しているのでしたw では『地球人として』ぐらいで全地球人に責任負うように論旨を組み立てて欲しかった。さもなくば、他国との軋轢(あつれき)問題になんて踏み込まずに『私の考え方ってどう?変わってる?』ぐらいの軽い内容にして欲しかった。
僕もこのエントリーの立場を表明しましょう。『ウェブのような公共の場でモノを書く何百万人もの人達の1人として』です。世の中、何でも言えば良い訳じゃないですよ。リベラルが罷り通るのはリベラル・ルールを知っている者同士の中だけです。なぜ昨今、掲示板に書いた文章で人が訴えられているのかを考えれば、今僕らが平然と書くこれらちっぽけな文章にも影響力があるんだ、と言う事実を知ることができるんじゃないでしょうかね。
うーん、このエントリー、めずらしくエキサイトしたw











