2004年05月 12日
Winny作者逮捕について
Winny製作者逮捕について、僕も言っておこうかな。遅ればせながら。さすがに知らないわけじゃなかったのですが、ちょっと他の人と意見が違う可能性が高かったので遠慮していました。特に誰かを挑発するつもりはありませんので、Trackback 等は送らずにひっそりと。
「著作権法への挑発的態度」が逮捕理由 京都府警 - asahi.com : 社会
ネットワーク上では『こりゃおかしい、納得イカン』と言う意見が蔓延しているかな、と思います。でも、論点は、製作者の意図なのであってツールの是非ではなないと思うのですよ。Winny が不法なコピーを行わせるためのツールであったことは誰が見ても自明であった筈。これがイカンかったのではないかと。
著作権について考える前に資本主義と言う考え方について考察してみます。元来、資本主義とは、『人が人のために行動する』ための枠組みを提供する主義なんだ、と理解しています。要は『君のサービスは最高だったよ』と言うことの対価としてお金を持ってきたわけです。そのお金を使うと別のサービスを受けることができる。このシステムが結果的に人と人のつながりを組み、切磋琢磨され、私たち人類が幸せに近づくのではないか、と言う主義。その主義の下では、お金と言うものが確実にサービスの提供者に行くべきなのです。
不法コピーの問題は、その音楽を作った人にちゃんとお金が巡らないことです。それじゃあ音楽作る人だってやる気が出なくなってします。『この音楽良いよ』って言ってくれることが本質的なところではある筈ですが、資本主義においてはそれは全てお金で換算されることになっているわけです。少なくとも今の今までこの枠組みでだいたいはうまく行っていた訳じゃないですか。だから著作権と言うものが必要なのです。コンテンツ流通の良し悪しはぜんぜん論点じゃない。
なので、Winny(の哲学) を擁護すると言うことは、資本主義に対して挑戦すると言うことだと思うのです。もちろん、それが理詰めで納得できる論拠を持っているなら僕も何か言うつもりはないです。が、少なくとも音楽を提供する人が楽しく音楽を提供できるような枠組みになりますかね?その点になんだかの解を提供してくれない限り、また、日本と言う国の哲学を変えてくれない限り、その哲学は『悪』とされます。だって資本主義なんだから。
アプリケーション一つ作るのだって哲学です。文章や他の表現物と同じ。そこには哲学があるのです。今回の一件はその哲学にフォーカスしてモノを論じたいところです。











