ネットワーク人生回顧録(その4)

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ネットワークに溺れた日々。しかし、2年越しに考えて、僕は今違うことを考えている(2003/4/14)

大前提の考え直し

今回のコラム、『ネットワーク人生回顧録』で、
僕はすっかり思考が止まってしまったように思います。

事実、最後の更新から、丸2年も経ってしまいました。
ふと、僕が結論付けようとした論旨に、自分自身が疑問になってしまったのです。

ネットワーク人生回顧録その1その2その3、と
僕は、ネットワークの人間関係とは演技の世界である、
演技は真っ当な人格じゃないけれど、
使いようで素晴らしく生まれ変わる
、と展開しようとしたんですよね。

でも、昨今。
「ネットワークの人間関係とは演技の世界である」と言うのは
僕自身でさえ、とても疑問だ。
多分、そういう経験をしてしまった僕は、
そのアイデンティティと世間との一致を求めていたに過ぎないんじゃないか。
冷静に、今のネットワーク・コミュニティを眺めてみると、
相も変わらず演技を繰り返す人たちもいるけど、
意外と実体を持っているコミュニティの方が多いように思う。

嘗て(かつて)、Nifty Serve が事実上作った通信のカルチャーは、
与えられた劇場で、与えられた通りに真面目に、
ストイックに演技をし続ける人たちだったように思う。
実体はない、でも演技による実体があるかのように見える充実があったと思う。

あの劇場で華やかに踊っていた人たちは、今何をしているのであろうか。
少なくとも僕は、割と普通の人間関係の中へ戻されているような気がする(^^;)

人格への展開に関する勘違い

僕は、第2回の『人間関係を考える』
人間の人格なんてチャチだ、
所詮、人間関係の中に自分を見出すのがせいぜいだ、と書いた。
書いてしまいました(^^;)

それは今でもそうだと思っています。

でも、僕の勘違いは、物理的な人間関係は、
多くの場合、極めて重要なモノとして、その人を取り巻くものなのです。
そういう自浄作用の方が上手く働くはず。
人間の脳みそは、コンピュータ・ネットワークの世界だけで
生きていけるほど強く出来てないんじゃないかなぁ、などと。

僕は、たまたま、そこそこエンジニアとしてクリエイターっぽくなれてしまったので、
(現実がどれほど泥臭かろうと、名目はね)
このコラムを書いている時はこれに気が付いていなかったような気がしています。
大分無茶して、現実でも演技の延長を繰り返していたような。

実は、僕が現実の僕と向き合わざる得なくなったのは、つい最近です。
最近僕が書いてしまっている痛い日記シリーズを見てくれ。
恋人と言う他者に自分が如何に向き合うことを恐れているか。
こういうツケがいつか襲ってくるのだぜ。

演技に対する真摯(しんし)な忠告として

だから、これを読んでいるあなたが、
もし、コンピュータ・ネットワークの世界で人気者で、
普段の自分と大きく不一致になっているとしたら、
それは夢か、幻のように現実に溶けていくことを覚悟した方が良いと思うんです。
これは僕からの忠告…かな。えらそーでごめん。

そう言うのは、それが演技している状態になっている可能性があるからです。
演技であるならば、演技している意識を持って演技を楽しんで欲しいと思う。
ネットワークは、 第3回『物理的距離のバイパス』で述べたような、
すばらしい人間関係を築く力にも、
大きく間違った人間関係を築く力にもなり得ます。
両刃(もろば)の剣、と言う言葉があるけど、結構両面とも良く切れますぜ(^^;)
そして、いずれ、あなたが傷つくのだぜ。

2003年現在、僕はもう演技したい、とは全く思わなくなりました。

だから、今僕が捕らえているネットワークの意義については、
また、僕がこうしてサイトを設計したりモノ書いたりするする意義については、
全く違う角度から、全く違う考え方で行っていると思います。
それを説明するには、まだ考えが十分でないけれど。

それにしても、今まで出一番面白くないコラムになったような気がします。
でも、次の論旨を考える一つの区切りとして、
これをここに残そうと思います。

桜が散る2003年の4月。

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