ネットワーク人生回顧録(その3)

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ネットワークにありがちな人間像を問う。(2001/8/?)

ネットワーク上での人間関係は何が違うのか?

こちらで、人間の「人格」には、
周辺環境、つまりは人間関係が重要であることをお話しました。

しかし、人間関係と言うのは物理的に側にいる人でなければ、
通常形成できません。
そうであるから、「会社」「学校」「家族」と言った物理的に
いっしょにいるしかない一つのくくりが、
その人の人格形成に重要だったわけです。

ところが、ネットワークはこれをバイパスします。
その人が置かれている、物理的現状を飛び越えて、
様々な人と人間関係を結ぶことができます。

その点がまず違う。

そして、それに加えて、
面と向かって話しているのではなく、
メールやチャット、BBSといった文字だけのコミュニケーションです。
それがどういう意味を持つのか、と言いますと、
いくらでも嘘がつけるんですよ。

その2で、ディスコミュニケーションによるコミュニケーションの推進
と言うことがある、と言いました。
相手のことは文字でしか見えない。
だからこそ、もっと相手のことを知りたい。
結果、コミュニケーションが進んでいく。

これは良い所です。
普通、実際に良く合う人ならば、
そこまでお互いを知ろうとは思いません。

しかし、文字によるコミュニケーションが、
いくらでも自分を着飾ることができる点は、みなさんも納得できる点ではないでしょうか。

そういう、「演技」による人間関係の形成を可能にしてしまう。

それが通常の人間関係と違う点、2つ目です。

まとめますと、以下2つの点が通常の人間関係と違います。

各々、そのメリット・デメリットに迫りたいと思います。

物理的距離のバイパス

例えば、重いハンディーキャップを持っている人が北海道に住んでいたとします。
その人は足が不自由な上、精神障害も持っているので外には出られません。

他方、沖縄に、視覚障害の方が住んでいたとします。
その方も簡単には外に出ることができません。

今までそんな境遇にある方々は、人間関係を形成するのは難しかったと思います。
しかし、ネットワークを用いれば、この2人が同じハンディーキャップを持った境遇について
話し合う場を作ることができます。

すばらしいことではありませんか!
孤独だった2人は今や孤独でなく、お互いがお互いを気にし合う2人となったのです。
これが先に述べた物理的距離のバイパスによるメリットです。
距離があるのに、その距離をなくしてしまうことができます。

実際、そういった活用事例は、インターネットが普及する前の
パソコン通信時代から、少なくなく耳にします。

***

その一方で、こんなことがありました。
1999年くらいに、アメリカで学生2人による
銃乱射事件があったのを覚えていらっしゃるでしょうか。

ニュースの報道によると、
彼らは「ナチスって良いよね〜」とか、
「やっぱりテロだよ、最高だよ」とか2人で言い合っている仲で、
学生の中でも相当浮いていて、無視された2人だったのだそうです。

普通、そういったおかしな価値観は、
物理的人間関係が上手く行かなくなり、その価値観そのものが、
自動的に抹殺されていくものなのだと思います。

なぜ、彼らは平気でそんな価値観をもっていられたのでしょう?
2人いたから孤独じゃなかったのでしょうか?
いえいえ、2人だけでは辛いと思います。
なにしろ、「おかしな2人」と後ろ指指されつづけていたのですから。

その答えが、なんとネットワークだったらしいのです。
彼らは自分のホームページを持っていて、
そこに「ナチス万歳」だの「銃器の使い方」だの掲載していたらしいのです。

そして、そのホームページを見た全世界の仲間達と
(悪いことに英語は世界標準言語です)
コミュニケーションを取っていたらしいのです。

だから、彼らは孤独ではなかった。
そして、自分達の価値観のおかしさに気がつくことなく、
その価値観をぬくぬくと推進させていたのです。

こういったことは、ネットワーク犯罪者達にも見られます。
彼らはいつもはどちらかと言うとあまり話す方ではありませんし、
人間の種類から言うと強い方ではない傾向があります。

しかし、ネットワーク上には、そんなネットワーク犯罪者達が
全世界で出会うことができ、まったく孤独ではなかった、と聞きます。

これが、悪い点だと考えています。
要は、通常はスピンアウトするべき少数派の価値観さえ温存されてしまうのです。
それは、距離がバイパスされ、少数派であっても少数派でなくなってしまう可能性があるのです。

文字だけのコミュニケーション

この点は既に述べていますが、
文字だけのコミュニケーションには大きな違いがあります。

それはいくらでも嘘がつける点です。
良い言葉で言えば、「演技できる」点です。

そして、嘘(演技)で作った人間関係から、
嘘で作った人格が形成できてしまうのです。

先に述べた通り、人間の人格なんて言うものは、
人間関係の上に、どうにかこうにか成り立っているような、
チャチな存在です。

だから、こうして嘘で作った人間関係が、
いつしか、本当に自分はそういう人間なのだ、と思うようになってしまう傾向を
感じてならないのです。

ネットワークによって作られた人格。

それ自体は問題ないのですが、
「嘘」によって作られた人格が登場する可能性があります。
いえ、実際「ネットオカマ」に代表される、奇妙な人格はいくらでも見つけられます。

ただ、無碍に否定するつもりはありません。
人間にとって「演技」と言う新しい喜びなのかも知れない、と考えています。

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