ネットワークにありがちな人間像を問う。(2001/8/?)
Nifty Serve にある CB と言われるチャットで知り合った女の子に、
こんななことを言われました。
彼女は22、3歳の OL だったと思います。
まあ、普通な感じの子でした。
「あたし、パソコン通信以外で友達作れなくなっちゃったんだ〜…」
これ聞いたとき、ああ、この人もなんだ、って心の中で思いました。
当時僕は大学4年生で、
以前日記で書いたことがあるのですが、
ハッキリ言って、単位問題ないし、卒論なんか WORD 2段組2枚で
「後はいらない」とか馬鹿教授に言われていたので
(学生の論文なんて読むに足らん、と言うのですわ、その先生)
悠悠自適な生活をしていたころです。
ま、週2日程度でしたね、学校に行くのは。
加えてフリーでゲームプログラマをしていたので、
月収15万ほどあって、遊ぶには困りません。
そんなヤツでしたから、大学の人間と遊ぶ気にもなれず、
それを僕は「価値観が違うからだな」と解釈して、
パソコン通信で知り合う「実体のない」関係を持つ人達とばかり遊んでいました。
逆に普通に知り合う、「実体のある」人達から、
どんどん離れてしまっていました。
実際、普通に知り合った人達と、
どう話したら良いか、分からなくなってしまっていました。
上手くコミュニケーションの取れないところまで来ていたのを覚えています。
多分、チャットなりのコミュニケーションツールを通さないと、
お互いが理解できた気分になれなかったのです。
パソコン通信は確かに「お互いを知った」気分にさせる優れたツールだったと思います。
確かに仲良くなるんですよ。
文通って盛り上がるの、知ってます?
盛り上がるんだなぁ、お互い、お互いを想像しあっちゃうから(笑)
ポストペットの製作者は芸術家八谷和彦さん。
この方をして、
「コミュニケーションは、ディスコミュニケーションの中にこそ際立つ」
と NHK でおっしゃっていました。
これはどういう意味なのかと言うと、
お互いの全容を想像し合うことが、
返ってコミュニケーションを推進する、って言うことなんだと思います。
お互いをもっと知りたい。
だから、コミュニケーションする。
それ自体は本当のことだと思います。
パソコン通信は、そんな感じのコミュニケーション・ツールになっていました。
実際、普通の友達関係以上に、友達でした。
メールとチャットでしか会わない人なのに。
その感覚を一度覚えると、
そのツールなしの関係に耐えられなくなってしまったのを覚えています。
実は、こういったパソコン通信による一連の人間関係には
普通の人間関係と大きな違いがあるのです。
ここから言うことは、人が聞くと当たり前に聞こえるかも知れません。
が、僕はこれに気がつくまで、随分時間がかかりました。
普通、人間関係って言うのは、
大学が同じだ、とか兄弟だ、とか職場の同僚だ、とか先輩だ、とか、
位置関係が存在します。
これが僕の言っている「実体のある」人間関係です。
心理学なりの専門家に言わせると、
人間は「自我」と言うものを本質的には持ち難いのだそうです。
例えば、貴方は車が好きな人だったとします。
BMW がどうしても乗りたい、って思っていたとします。
でも、それって、本当のあなたが欲しがっているのでしょうか?
心理学で言うところの「無意識」から欲しいですか?
そんなことはないでしょう。
「無意識」から欲しがるものなんて、
食欲とか性欲とか睡眠欲とかそんなものですよ。
多分、あなたの恋人を助手席に乗せて、
「かっこいい」とか言われたり、
雑誌の記事に影響されたり、
友人が良い車に乗っているのを見て、
思わず欲しくなるんじゃないでしょうか?
つまり、「BMW に乗りたい」と言う単純な人格さえ、
周辺環境からの影響なしに語れないんですよ。
例えば、アフリカの奥地に住む原住民は
BMW に乗りたいなんて絶対思いません。
車は知っていると思いますが、車だって欲しくないでしょう。
だから、人間の精神って、とってもチャチなんです。
すごく、ふらついている。
周りから「あなたはこういう人だ」って思われたり、
あなたが、周りから影響を受けることで、
どうにかこうにか「自分」と言う実体がその位置を固定しているんじゃないか、と。
だから、どの会社にいる、とか、どの大学にいる、とか、
そういう「実態のある」関係が、
その人の人格と言うものを形成するのに極めて重大なものとなると思うのです。
で、パソコン通信の凄まじいところは、それがないところなんです。
次回、パソコン通信では何が違うのかを考察し続けてみたいと思います。