エンジニアと投稿雑誌 (3)

エンジニアと漫画イラストレーターと投稿雑誌

「エンジニアと投稿雑誌」として、1980年代の『月刊I/O』を題材に、当時のエンジニアが投稿雑誌上で切磋琢磨してきたことをご説明してきました、同様に『マイコンBASICマガジン』もまた、同様にBASICというプログラミング言語による投稿雑誌として多くのソフトウェアエンジニアに切磋琢磨の場を与えてきた歴史がありました。
また、『月刊I/O』の一部に掲載されたイラスト投稿を見れば、現在の秋葉原に見られるサブカルとエンジニアの融合を予言することをご説明しました。実はこれらイラスト投稿の流れは、『マイコンBASICマガジン』でも同様に見られた傾向です。ここで、少し投稿雑誌と一連のイラスト投稿・・サブカルとの関係について、さらに掘り下げてみたいと思います。インターネットがメジャーではなかった80年代、投稿形式による切磋琢磨の場は、エンジニアに限りませんでした。

もうひとつの投稿雑誌の流れ

ファンロード 表紙

ファンロード 表紙

80年代の投稿雑誌というと、私個人的に思い出す雑誌があります。漫画イラスト投稿雑誌、ファンロードです。ファンロードは1980年〜2003年まで発刊していた漫画ファン・アニメファン達のための、いわゆるアニメのパロディを軸にしたイラスト投稿雑誌です。

※以下、この種類の漫画イラストを「イラスト」と表現します。本文書で用いるイラストは一般的な芸術作品としての広い意味でのイラストではなく、日本の漫画やアニメの模倣を起点としたイラストを指しています。

『ああっ女神さまっ』の藤島康介や、『ケロロ軍曹』の吉崎観音も元ファンロード投稿者(ファンロード誌上では、常連投稿者を”ローディスト”と言いました)でした。その他、多数のプロを世に送り出した名門イラスト投稿雑誌です。

ファンロード1993年1月号

本来的には80年代に出版されたファンロード誌にフォーカスしたかったのですが、実家に奇跡的に残っていたファンロード誌は残念ながら1993年1月のものでした。しかし、その路線は80年代から変わっていません。本誌を知ることは、80年代のマイコン文化にあった投稿雑誌とは同期して考えることができます。

いずれ書きますが、コンピュータの投稿雑誌文化が90年代からパソコン通信で変わっていくのに対し、ファンロード誌のようなイラスト投稿雑誌文化はあまりパソコン通信の存在とは同期していません。要はこれらイラスト投稿文化は80年代も90年代も似たようなもんでした。

さて、ファンロード1993年1月号の中身をご紹介しましょう。言葉で言わずともがな、以下のような感じです。如何でしょうか。

ファンロード 1

ファンロード  1993年1月号 サンプル1

ファンロード 2

ファンロード  1993年1月号 サンプル2

ファンロード 3

ファンロード  1993年1月号 サンプル3

どうやら当時は富樫先生幽☆遊☆白書がテーマのイラスト投稿だったようですが、オリジナルのイラスト投稿も多数ありました。多分、それで「ザ・マイキャラクターズ」と言うタイトルがついているんだと思います。

現在ではすっかりPixiv がその役割を担っているように見えます。今はデバイスも進化しているので、もしかすると、今の Pixiv の投稿品質の方が高く見えるかも知れません。しかし、実際に描いてみると分かると思いますが、これだけの絵を描くことは並大抵の努力ではありません。かなり没頭して時間を投入しているはずです。故に相当好きであろうと思いますし、また、これら投稿雑誌の存在がなければ品質を上げることも難しかったでしょう。

月刊I/Oとイラスト投稿

この点はエンジニアの投稿雑誌だった『月刊I/O』にも見られた投稿雑誌の意義と同様に見えます。そして実際、同じ投稿雑誌として文化的に伝播が『月刊I/O』の一部投稿に見られることは、ご説明したとおりです。もちろん、ファンロードほどの品質はありませんが、それなり上手です。

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月刊I/O のイラスト投稿例(拡大)

しかし、一方、技術系な『月刊I/O』とイラスト系な『ファンロード』では、大きく異なる面があります。以下はファンロードの募集コーナーです。

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ファンロードの読者の多くは中高生くらいの女の子と思われるのですが、イラストを通じての文通など、コミュニケーションに主眼があることが分かります。対して月刊I/OやマイコンBASICマガジンは技術雑誌であり、恐らく高校・大学生・エンジニア男子が多いと思われ、こういったコミュニケーションそのものを目的にした投稿は稀です。ただ、イラスト投稿と言う形でそのニュアンスだけは伝播している、と言うところでしょうか。

ファンロードはじめとするコミュニケーションを目的としたイラスト投稿の文化は、当時の他の漫画・アニメ情報雑誌群にも例外なく見られます。一つの例として同時代のマンガ情報誌『ぱふ』の投稿ページを見てみましょう。『ぱふ』はボーイズラブと言ったマニアックな少女マンガ(詳細を語るにはスペースが足りない!)を主軸にした漫画講評の雑誌で、初期の高橋留美子が寄稿していたほどの雑誌でもありました。

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『ファンロード』も『ぱふ』も、確かにプロを輩出した名門投稿誌です。『月刊I/O』も 『マイコンBASICマガジン』もまた同様にプロ輩出に貢献したことでしょう。(ただ、エンジニアの方は飽くまで想像。なぜなら、エンジニアは一般的に企業に入ってしまうので、プロになった証拠が外に出てきにくい)しかし、技術系投稿誌がかなりプロを意識してプロを目指した場であるのに対し、イラスト投稿雑誌はコミュニケーションが目的にあり、それが結果としてプロになる、という向きがあります。月刊I/Oに現れたイラストには、コミュニケーション目的としてのエッセンスを感じる部分もありますが、限定的です。

しかし、月刊I/OやBASICマガジンのソフトウェア投稿もまた、その本質は「コミュニケーション」だったのではないでしょうか。もちろん、彼らが目指したものは職業エンジニアであり、そのための投稿であったのだと考えられます。しかし、それだけならば、なぜわざわざ投稿するのか、合理的に説明ができません。月刊I/Oの掲載料がいくらであったのか、残念ながら資料がないのですが、マイコンBASICマガジンの掲載料は10,000円であった、と言う文書があります。一万円。掲載内容のレベルは極めて高かったことを考えると、ちょっと高めのお年玉ほどの値段のために払われる努力とは違うと思うのです。そもそも職業エンジニアを目指すだけなら、大学でせっせと学位を取れば達成できる話です。そう考えると、その目的は職業エンジニアを目指したものではなく、プログラムを通じた不特定多数へのメッセージだったのではないかと思うのです。

即ち、イラスト描きもソフトウェア・エンジニアも、持てるモノで会話するコミュニケーターと言う角度があるのです。組織には組織階層とは全く別のコミュニケーションパスを持つ重要人物「ゲートキーパー」がいるとしたゲートキーパー論で知られるT.J.アレンの『技術の流れ管理法』でも、前提として、エンジニアが論文のような文書の交換ではなく、「出来たもの」の交換が唯一のコミュニケーションであり、より非言語コミュニケーションに依存していることが研究の前提となっています。

「投稿」で繋がった日本マンガイラスト文化とマイコン文化

大きな仮説に過ぎませんが、元は東京電機大学(実は私の母校の一つ)の学生が電子パーツを購入する需要から電気街となった秋葉原が、アニメを筆頭にするポップカルチャーの街になった原点は、投稿雑誌をベースとした非言語コミュニケーションのあり方が、イラスト描き・漫画描きとエンジニアで親和性が高かったのではないかと考えるのです。

また、秋葉原と言う街に結実していくこれら文化の潮流は、お互いがノンバーバルなコミュニケーションと言う、ポストペットで知られるアーティスト八谷和彦氏言うところの「ディスコミュニケーションの中のコミュニケーション」と言うテーマなんじゃないかと思うのです。八谷は、対面で話すより、電話で話すとむしろ盛り上がったり、さらに言えば、メールや文通は相手への想像力が膨らむだけ、むしろ対面のコミュニケーション以上のコミュニケーションになる、とNHKのインタビューに答えていたこと覚えています。

この言葉以上に強いコミュニケーションの繋がり、そしてコミュニティが、現代ポップカルチャーの原動力であり、良いエンジニアの創出とはそういったコミュニケーションとコミュニティをベースにしていると言うことが、本ブログで明らかにしたい仮設なのです。今回は、漫画イラスト文化とソフトウェア文化を切磋琢磨した投稿雑誌についてご紹介しました。今後、更に多角度から事例をご紹介し、この大きな仮説を裏付けていきたいと思います。そして、よりよいソフトウェア・エンジニアのための空間とはなにか、そもそも良いソフトウェア・エンジニアとはどんなものなのかについて、新しい視点を見せていければと、そんな風に考えています。

エンジニアと投稿雑誌 (2)

80年代 もう一つの『月刊I/O』

月刊I/Oを彩った はらJINさんのイラスト

ところで、月刊I/Oの記事『FM音源カードの制作』のタイトルに掲載されている猫のイラストにお気づきでしょうか。

はらJINさんと言うイラストレーターのもので、ギンビスたべっこ動物のイラストもはらJINさんとのことです。ちょっと硬派なコンピュータ雑誌I/Oらしからぬ、かわいらしいイラストですよね。この猫が逆立ちして逆アセンブラ(マシン語をアセンブリ言語レベルに戻すツール)・・なんていうイラストもありました。少し技術に明るいイラストレーターだったのかも知れません?

ちなみにこの猫の名前を「ニャームコ」って言ったような気がするんですが、出典不明でした。私がナムコのゲームと混同してるだけかも知れません。さらに補足すると、1985年に心不全でお亡くなりになられています。アサブロに、はらJINさんねこのブログテンプレートがあるみたい。こんな技術以外のところも『月刊I/O』の醍醐味でした。

月刊I/Oの投稿イラスト達

『月刊I/O』には、一連の硬派な技術投稿雑誌とは別の角度が見られます。例えば、「売ります」「買います」コーナー。当時高価だったコンピュータの個人売買が紙面ベースでやり取りされます。そこに掲載されているイラストがこちら。

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いずれも同じ1985年8月号のものです。(本題と関係ありませんが、当時、この手の連絡手段として自分の住所と氏名、場合によっては電話番号を書いていたんですよね。個人情報吊るしまくり。今じゃ考えられません。と言う話はともあれ。)どういうわけか、美少女イラスト。絵柄がどことなくダーティペアっぽいのですが、まさにアニメ『ダーティペア』が1985年でした。当時、ヒットアニメはあれど、今ほどはアニメがポップカルチャーとして市民権を得ていなかった時代です。

プログラミング講習コーナーの宿題回答投稿にもアニメ風イラストが登場します。宿題内容はブール代数みたいですね。

月刊I/O のイラスト投稿例

月刊I/O のイラスト投稿例

月刊I/O のイラスト投稿例(拡大)

月刊I/O のイラスト投稿例(拡大)

硬派な技術投稿雑誌に、アニメ風の絵柄が随所に現れていました。

ポップカルチャー・サブカルチャーとエンジニア

2016年現在にあっては、ポップカルチャー・サブカルの中心地である秋葉原。しかし、1980年代の当時は電気・電子パーツやマイコン初めとする電気関連販売の中心地であったことは良く知られています。電気・電子パーツでよく知られる秋月電子は今でも秋葉原に健在です。もしかすると、秋葉原=パソコン=サブカル=美少女 みたいな構図を当たり前のように思うかも分かりませんが、1980年代はどちらかと言うと暗い電子パーツの街。しかし、現在の秋葉原を予感させる片鱗がこんなところに出てきていたりするのです。